武蔵野アニメーションという架空のアニメ制作会社を舞台にしたアニメSHIROBAKOがアニメファン及びアニメ業界から高い評価を得ています。

主人公が制作進行を担当している宮森あおい(通称みゃーもり)
その周りを様々なキャラクターが囲んでいるわけですが・・・どっかで見たことあるような人やどっかで見たことあるようなアニメが流れたり、そのへんはアニメ業界をネタにしているだけある感じです。

人気の理由は様々なキャラクターの魅力、そしてダークにならない程度のリアルさでしょうか。
女性キャラクターはそれぞれの魅力を活かして不快にならないような良さを演出していますが、男性キャラクターもまた男から見ても惚れそうな人が多く、逆に嫌なキャラは本当に嫌な感じで、あぁ、こういう奴いるわwwwとなるのですね。
ダークにならない程度というのは、業界の闇というのは相当深いですからね。そういうところを避けて、良い所も悪い所も描いてるところがリアルさを演出しています、多分。

で、主人公であるみゃーもりと同じ制作進行である高梨太郎(通称タロー)平岡はどちらかというと無能、悪役的な描かれ方をされています。
コミュニケーションを重視し、泥臭く過程を重視するみゃーもりに対して、適当、効率・結果重視という後者。対極の扱いならそうなりますね。

ただ、現実を考えてみるとみゃーもりのような存在は非常に古いというか、それなりに歳のいった人なら老害と言われるでしょう。
朝礼や会議は無駄が多く議事録が無ければ言った言わないで揉めますし、指示も口頭だと同等の事態になるのでデータとして残す傾向があります。
コミュニケーションもなるべく避けたい人が多いですし、特に業務時間外の飲み会や社員旅行はどうすれば行かずに済むか言い訳を必死に考えている人も多いでしょう。
今は効率を重視し、程々に頑張って程々に結果を残して過ごして行きたい、どちらかと言えばタローや平岡に共感してしまう人が多いですから。

もちろん、みゃーもりのように頑張ってる女の子が部署やプロジェクトで制作進行やディレクタ的な立場でいれば頑張ろうと思えるのも事実ですし、アニメならそういうキャラが主人公でなければ全体として地味になりそうですからね。クールなキャラは脇役にいてこそかなと。

なんかグダグダになってしまいましたが、IT業界やクリエイティブな分野では進捗・過程もチェックするけど結果のためにユルさも必要なところがあったので、そこに大きな違和感を覚えたのでちょっと書いてみました。

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